てんのなかのきぼう

短編小説を綴っています

ドトールな人々 ナベさん

 

吉岡孝は、ほぼ毎日ドトールに行くようになった。

もちろん暇になったからだ。

他に行くところがないし、やることもない。

昨年6月に定年退職してから、1年近くが経とうとしているが、この数ヶ月はほぼ毎日だ。

孝の会社の同期の10人に9人はシニア雇用とかいう、給料が半分以下になるが65歳まで働けるっていう仕組みに乗っかって会社にしがみついている。

しがみついているって言うのは少しばかり言い過ぎかもしれない。事情があって辞められない者もいるからだ。ただ、孝から言わせれば、ほとんどの同期は単にやることがないという理由で会社に残っている。

スパッと辞めた孝からすると、そんな彼らに腹が立つ。

たまに彼らと飲んだりすると、いま何やってんだ?暇だろう、どう時間潰してんの?が、挨拶代わりだ。そのうち、会社がああだ、こうだって、孝の知りようもない話を得意げにし始める。

辞めた当初は、やりたくもないつまらない仕事して、そこそこのカネを有り難く貰えればそれでいいって、なんとも情けない奴らだと思っていた孝だった。

それが、まさか一年も経たないうちに一生懸命ハローワークに通って再就職先を探すなんて、孝自身思ってもいなかった。

会社からの開放感を感じていたのは、せいぜい失業保険を貰っている間だけで、そのうち、時間が有り余るようになると、社会から取り残されるような恐怖感を感じるようになる。お前は何の役にも立たない人間だと言われているようにも思えてくる。

会社なんぞに未練はない。それだけははっきり言える。しかし、40年近くを転勤族で過ごして仕事しかして来なかった孝には、これといった趣味もなければ、東京に友人と言える付き合いもない。

で、結局は時間を持て余して鬱々とする姿をカミさんに見られたくなくて、その目を避けるように家を出る。行く場所はハローワークドトールだがどこに行くとは言わない。カミさんも何かを察しているのか、どこに行くのと孝には聞かない。

なんとも情けないがそれが今の孝だった。

 

いつ、そのじいさんに気づいたか、孝は覚えていない。

80歳前後だろうか、いつも一番奥の左手の壁際に座っているそのじいさんは、新聞を広げていて、5分に1回は大きな音で「かあああっ」とやる。

最初はなんだろうと思った。喉に絡んだ痰を吐き出すときのような音だ。ただ、音はするが痰をどこかに吐き出すことはしない。

気になるのは俺だけか。そう思った孝は周りを見るが、不思議と気にしている様子はない。

あまりに繰り返すその音にイライラし、2階に上がろうかと何度も思うが、孝は2階があまり好きではなかった。

以前、1階が混んでいて止むを得ず2階に行ったことがあるが、すぐ近くにある喫煙ルームにいればいいものを、吸う時だけ行く者が結構いて、戻ってくるたびにタバコ臭い匂いを撒き散らすのに辟易したからだ。

どっちが嫌かの選択になるが、結局は「かあああっ」を我慢する。

ドトールには他にも困った客がいて、それは、保険屋とか株屋の類だった。

彼らは、大体30半ばの男と20後半の女のセットで来て、本来、二人掛けの机を2つくっつけ四人席にし、客を呼んで事務所がわりに使い始める。

その日も待ち合わせの客が来るまでの間なのか、男はそこそこの声でずっと携帯で何やら話し、女はパチパチと耳障りな音を立ててパソコンを叩いていたのだが、彼らが不幸だったのは、隣にあのじいさんがいたことだった。

じいさんはいつものように、「かあああっ」と定期的に繰り返しつつ新聞を読んでいたのだが、話し続ける隣の男の携帯電話にさすがに業を煮やしたのか、

「こら!電話はやめんか!」と大声で男を一喝した。

 電話をしていた男は、じいさんの余りの剣幕に、即座にすいませんと謝り、そそくさと逃げるように電話を持って店を出て行き、女の方は素早くパソコンを閉じた。

 孝は、心の中で快哉を叫んでいた。

 やるなあ、じいさん。自分を棚に上げて。

 毒を以て毒を制すとはこのことか。

 

 数日後のドトールは結構混み合っていた。

 うわ、じいさんの隣しか空いてないのか。しょうがない。2階に行くか。

 孝が、階段に向かうと、ちょうどレジで後ろにいた女性が先に上がっていく。嫌な予感がする。

 案の定だった。その女性で2階もちょうど満席になってしまった。

 覚悟を決め、じいさんの隣にもぐり込む。文字通りもぐり込むのだ。なぜなら新聞を広げているからだった。

時折響く「かあああっ」にビクッとしながら、スマホ片手にコーヒーを啜っていると、一人の小柄なじいさんがやってきて、

「よう」と言って、じいさんの前に座った。

「おう、ツルタ、久しぶりだな」とじいさんが新聞をたたみながら答える。

 二人は古い友人なのか、会うのは久しぶりのようだった。

「ナベ、元気だったか」

 じいさんはナベと言うのか、つまりワタナベか。

「まあな。何とかこうやって生きてるよ」

「しかし、ナベ、お前会社やめてからこっち、俺たちの集まりにも来ないで何やってたんだ」

「ん?そうだな。やりたいことやって、見たいもん見て。まあ、今は、見ての通りブーラブラだ。かあああっ」

「結局仕事もせずじまいか」

「そんなもんするわけねえだろ」

「たく。お前は変わらないな」

「そう言うお前はどうなんだ、ツルタ」

「55で定年した後は70まで嘱託で勤めたよ」

「てことは、9年前まで働いてたってわけだ。大したもんだ。面白かったか」

「面白いわけないだろう。仕事なんだから」

「へえ。面白くもないのに70まで働いてたのか。へえ。ご苦労さんなこった」

「みんなそうやってしょうがなく働いてんだよ」

「で?今何やってんだ?」

「何って、何にもしてないよ。暇してるよ」

「じゃ一緒じゃねえか。バカ」

 思わず孝は吹き出しそうになった。掛け合い漫才か落語を聞いているようだ。

「だから昔っから俺が言ってたろう。どうしても食うに困るんなら我儘言ってらんねえ。どんな仕事もやるさ。でもな。そうじゃなきゃ残り少ねえ人生、死んだように送ってどうする。いいか。人生ってのは人が生きるって書くんだぞ。かあああっ」

 ナベさんの分かったような分からないような話にツルタさんが急にしんみりする。

「悔しいがお前の言う通りだったよ。やっと女房を旅行にでも連れてってやろうかって矢先に死んじまったからな」

「なに!キミちゃん、死んだのか?いつ?」

「もう10年になるよ。俺が仕事辞める前の年だから」

「そうかあ。そりゃ残念だったな」

「子宮がんでな、見つかった時は手遅れだ。旅行どころじゃないよ。何とか延命治療ってんでやったんだが、苦しいばっかでさ、可哀想だったよ」

「9年も前だとそうかもな。今は随分がん治療も良くなってるみてえだが」

「何だ、詳しいような口ぶりだな」

「俺も、ほら、去年、やってっから」

 ナベさんが自分の胸を指さす。

「何?肺がんか?」

「ああ。でもこの通りピンピンだ。やっぱり仕事なんかせずに好きなことやってたのが良かったんだな。かあああっ」

「何だ、さっきから。痰でも絡むのか」

「いや、肺切るまではずっと痰が絡んでたんだが」

「違うのか、じゃ今のは何だ」

「そん時の癖だ。直んねえ」

 癖!あれは癖だったのか。しかも肺がんの時の。

「そういえば、ハルコさん、どうしてる?元気か?」

「ああ、おかげでな。もう80だってのに週3日ばかり働いてるよ」

「働いてる?どこで?」

「掃除婦ってやつだ。体動かしてるのがいいんだってよ」

「へえ、そりゃ大したもんだな」

「何が大したもんなんだよ」

「ナベ、今は人生100年時代なんだぞ。まだあと20年もあるんだぞ」

「そんなもん、俺の知ったこっちゃねえ。世間が勝手に言ってるだけだろうが」

「何にもやることないんだろ。不安にならないのか」

「あれからこっち、ずっとやることなんかねえよ。だけど、こうやって生きてるじゃねえか。何が問題なんだよ。たく、お前は昔っから先、先ばっかし心配してやがって。かあああっ」

 そこへ、店員の女性がやってきて、孝の隣の客が帰った後のテーブルを拭いた後、

「あら、ナベさん、珍しいわね。お友達なんて」と言うと、

「西島ちゃん、お友達なんて洒落たもんじゃねえよ、腐れ縁ってやつだ」

「はいはい、まあ、ごゆっくり」

 西島さんという女性店員はレジの方に戻っていく、

「まあいいや、ところでナベ、まだ時間あるか」

「なきゃこんなとこにいるかよ」

「そろそろ昼だろ。その辺で一杯どうだ」

「それもいいが、俺んとこ来いよ。久しぶりにお前の顔見りゃ女房も喜ぶしな」

 二人のじいさんは、揃ってドトールを出て行った。

 

翌日、孝はハローワークに行くのをやめた。

そして、家を出るときに言った。

ドトール行ってくるよ」

あ、そう、気をつけてとカミさんは孝に言った。