てんのなかのきぼう

短編小説を綴っています

ドトールな人々 結婚指輪

本田雄一は、週末になると必ずと言っていいほどドトールに行くようになった。

 娘の子育てがあらかた終わり、自由な時間が出来たためだったが、本当の理由は、ネームプレートに西島とあるその女性が自分を覚えてくれたせいだった。

 レジカウンターの前に雄一が立つと、彼女は黙ってレジを打ち、クレジットカードの差込口に、カードを入れてくださいと表示され。カードを挿入すると今度は、ほんの数秒ほどでカードをお取りくださいと表示される。雄一がカードを抜くのとほぼ同時に、ブラックのアメリカンコーヒーMが彼女から手渡されレシートは処分される。

 ほんのたまに目が合うと、雄一は年甲斐もなく中学生のようにドキッとしてしまう。

 30歳の半ばだろうか。それとも落ち着いて見えるだけでもっと若いのかもしれない。

 左手に指輪はなさそうだが、仕事柄外していることもありうる。

 カードの抜き差しもコーヒーの受け取りも右手だから、左手の結婚指輪に彼女は気づいてないはずだ。

 

 真夏のうだるような暑さが続いていた。

その日も朝から30度をゆうに超える、とんでもなく暑い日だった。

 いつものように家で昼食を食べた後、雄一がドトールに行くと、涼を求める客で入り口からはみ出るほど混んでいる。

 レジはアルバイトらしき若い女の子で、西島さんは奥の方で何やら忙しなく立ち働いていた。

 並んで待っていると、

「1時間以内のご利用に協力お願い申し上げます」と書かれた立て看板が目に入る。

 コーヒーを受け取り、何とか一つ席を見つけて座った。

 スマホでSNSニュースを見ていると、ラインが入る。娘の遥だった。

「今晩、美咲んちで勉強することになったから」

 またか。最近、週末になると友達の家で受験勉強するとか言って泊まりに行く。

「晩ごはんいらない。あと、泊まってくるから」

やっぱり。我が娘を疑うつもりはないが、年頃だけに気にもなってくる。心なしか化粧も濃くなっているようだし。

スマホで、女子高生、外泊と入れてググって見ると、事前に親に言うならそこまで心配しなくても良さそうなことが書いてある。ただ、気になるなら泊まる先の電話番号を聞いてみて、きちんと言うようなら行かせる、そうでないなら行かせないともある。

こういうとき、奈緒子ならどうしただろう。気が強いあいつのことだ。遥が何と言おうがダメなものはダメとか言って一切取り合わないのかもしれない。

どうしようか。聞くだけ聞いてみるか。

「美咲さんの家の電話番号を念のために教えてくれる?」

 さらに付け加える。

「何かあったら心配だから」

「もしかして疑ってる?」

 ほぼ同時に返信がきて雄一ははたと困った。

「いや違うよ。心配だから」

「何が心配なの?勉強するんだよ」

 ダメだ。勝てそうもない。

「わかった。じゃ美咲さんの家に着いたら、無事着いたと連絡入れてくれればいいから」

 弱い。それじゃダメでしょと奈緒子に言われそうだ。

 遥からの返信は、よく知らないキャラクターがOKと言っているスタンプだった。

 雄一が、ふうと一息つきコーヒーを飲もうと手を伸ばしたときだった。

「あのう、1時間以内のご利用にご協力をお願いします」

 目の前に男性店員が立っている。

一瞬、自分に言われたかと思った雄一だが、店員の視線は、隣の高校生らしき男女に向いている。彼らは、参考書やノートを開いて勉強していて、すでに滞在時間が長いのだろう。

 男の子が、はい、すいませんと、慌てて片付け始めると、男性店員がいなくなるのを見計らい、女の子が小声で男の子に言う。

「まだ大丈夫だって。今度来たらで」

 男の子は、ホント?と、一旦、片付けた本やノートをまたテーブルに開く。

 その様子に、雄一は、会社ではダイバーシティとかジェンダーレスとか言っているが、この世代は多様性どころかジェンダー逆転しているのではないのかと思ったりする。

 15分ほど経ち、先程の男性店員がまたやってきた。

「1時間以内のご利用をお願いしているのですが」

 強めの口調に苛立ったのか、女の子が男性店員を睨みつけ逆ギレした。

「分かってるって!出るって言ってるでしょ!」

 混雑した店内の客たちが驚いて見守るなかを、女の子は堂々と、男の子は伏目がちにおどおどと、店を後にした。

 やっぱり逆転している。間違いない。

 その後、家に戻り夜遅くまで待っていた雄一だったが、結局、遥からの連絡はなかった。

 

 翌、日曜日、やはり朝から快晴で気温がぐんぐん上昇する。

 さすがに心配になり、遥にラインをすると少し経って既読がつくが返信はない。

 いくら相手が父親だからって返信くらい寄越せよなと一人毒づく。

「ああ、疲れた」

 用意した昼食も食べずに待っていると、夕方になってようやく遥が帰ってきた。

 何か言おうとする前に、シャワー浴びて一眠りすると言ってさっさと風呂場に行く。

 夜、起きてきた遥に、晩ごはんどうすると聞くと、焼肉が食べたいと言う。

 昔、家族3人でよく言った人気の店に車で行くと、すでに駐車場は一杯で、駐めるだけで20分ほど、さらに店も1時間待ちだと言う。

「腹減ったろ、どうする?」

「うーん。もう口が焼肉になってるしなあ」

「じゃ頑張って待つか」

「うん、待とう」

 遥はさっきまで寝ていたためか、それほど腹も減ってないようだが、昼食抜きの雄一は腹ペコで、何でもいいから食べたいというのが本音だった。

 結局、1時間以上待たされ、席に着いたのは午後9時近かった。

 日曜日のせいか、家族連れが多く店はまだ混み合っている。店員もバタバタと忙しそうた。

 腹が減っていることに加えて車で来ているのでビールも飲めない。とにかく何か食べたい雄一は、メニューをさっと見て、店員を呼ぶ注文のボタンを押す。

 5分ほど待つが、店員の来る様子がない。もう一度ボタンを強めに押す。

「もう来るよ」

 遥がのんびりした口調で言うが、イライラが募ってくる。

 さらに5分ほど待たされ、ようやくアルバイトらしき若い男性がやってきた。

「はい、どうぞ」

 さっさと注文しろとばかり無愛想に言う。

お待たせしましたの一言もないのか。

イラッとする雄一だが、押さえ込み、いくつか注文をする。

ところが、またも10分近く待たされた挙句やってきた女性店員が、皿をガチャガチャと乱暴にテーブルに並べていく。

ん?僕も遥も大好きなハラミを頼んだはずだが、何だろう、違う赤みの肉のようだ。

「ハラミを頼んだけど。これ、違うよね」

「はい?」

「いや、だから。これハラミじゃないでしょ」

「注文受けたの私じゃないから・・・」

「君じゃなくても違うものは違うんだ!さっさと替えて来い!」

 雄一の頭の中で女性店員と昨日の女子高生とが重なり、カッとなってつい怒鳴ってしまった。

 女性店員は、すいませんと小声で言って肉の皿を持って走って行った。

「パパ、最低」

 頬杖ついた遥が雄一を蔑むように言った。

「ごめん。ついカッとしてしまった」

 しばらくして先程の女性店員と店長が二人でやってきて謝罪し、雄一は、僕の方こそ声を荒げて申し訳なかったと謝った。

 雄一は、昨日のドトールでのこと、返信をくれなかった遥に不満を持っていたこと、腹が減ってイライラしていたこと、さっきの彼女がドトールの女子高生とイメージが重なったことなどを正直に話した。

「私もごめんなさい。パパに甘えてた。でも嘘はついてない。ずっと美咲と勉強してたから」

「うん、そうか」

「でも、その女子高生はひどいね」

「遥だったらどう?」

「どうって、絶対するわけないじゃん。だってバチ当たりたくないもん」

「バチ?」

「ママがよく言ってたもん。人に迷惑かけたり心配かけたりしたら絶対バチが当たるって。さっきのもパパを心配させたバチが私に当たったんだよ」

「へえ」

 バチか。あっという間に大人になったと思ったが、まだまだ子供なんだな。

 奈緒子、遥は素直に育っているぞ。心配いらないよ。

「パパは再婚しないの?」

 食事の途中で遥が急に言い出す。

「な、なんだ?」

「もうそろそろいいんじゃない?私、平気だよ。きっとママだって許してくれるよ」

「そんなこと言ったって、相手がいなきゃどうしようもないだろ」

 そう言いながら、西島さんの優しげな笑顔が浮かぶ。

 その夜、雄一と遥は、美味しい焼肉を腹一杯食べ、楽しい時間を過ごした。

 会計すると、ハラミ一人前の代金が値引きされていた。

 

 次の土曜日もやはり朝から蒸し暑い日だった。

 夕方、ドトールに行くと、またもやレジに多くの客が並んでいて、シフトのせいか、今日も西島さんは奥にいる。

 席に座って、何気なく店内を見渡すと、いるいる、またもやあの高校生カップルが。ちょうど、またあの男性店員が彼らに声を掛けている。

 よくまあ毎回、毎回、懲りないものだと思った矢先だった。

「こら!いい加減にせんか!とっとと出てけ!」

 店内に怒号が響き渡った。

 高校生カップルの隣に座って新聞を読んでいたお年寄りがいきなり彼らを怒鳴りつけたのだ。

 その有無を言わせない余りの迫力に、2人は一瞬固まったあと、男の子は、すいません、すいませんと言いながらオロオロと本などを片づけ出し、女の子は泣き出してしまう。

 え?バチが当たったのか?

「ワタナベさん、ダメでしょ。怒鳴っちゃ」

西島さんが駆けつけてきて、女の子を落ち着かせようと背中をさすり始めた。

「すまん。ちょっと声が大きすぎたか」

 ワタナベさんは、申し訳なさそうにかすかに残った白髪頭を掻いている。

「ワタナベさん、店のことを思ってでしょうけど、やり過ぎはバチが当たりますよ」

 悪戯をした幼い子供を優しく嗜めているような言い方だ。

 西島さんが、そばにいた女性店員に指示して二人をスタッフルームに連れて行かせ、客を見回して言った。

「皆さま、お騒がせして申し訳ございませんでした。どうぞ、引き続きごゆっくりなさってくださいませ」

「お、いけねえ。俺ももうすぐ1時間だ。バチが当たらねえうちに帰るとするか。じゃな」

 そう言うと、ワタナベさんはそそくさと店を出て行った。

 

 翌日の日曜日、朝10時前にドトールを覗くとレジに西島さんがいた。

よし。

 西島さんはいつものように、雄一の顔を見ると何も言わないでアメリカンコーヒーMを渡す。

すかさず、雄一がいつもは貰わないレシートを下さいと言うと、

「あ、はい」と、少し怪訝な表情をする西島さんの前で、家から持ってきたボールペンでレシートの裏に、走り書きをする。

「もし良かったら連絡ください。本田雄一○○○-○○○○-○○○○」

 レシートを押さえる雄一の左手に指輪はない。家に置いてきたからだ。

 さっとレシートを二つに折り、西島さんに渡す。

 席に座って、ドキドキが収まらないままコーヒーを飲んでいると、スマホが鳴った。見るとショートメッセージだ。

「今度の日曜日は休みです。西島」

 やった!

「かあああっ」と何だかよくわからない声だか音が聞こえてきたが、スマホを見つめ続ける雄一には全く気にならなかった。