てんのなかのきぼう

短編小説を綴っています

2021-06-28から1日間の記事一覧

ドトールな人々 孤独(ひとり)、心のスキマ

七海はずっとスマホを見続ける。 心のどこか奥の方で、やめろ、という囁きが声のような、音のような、はたまたイメージのような感覚で微かに意識されるが、やめられない。 どれだけ画面を見続けたとしても、誰からもメールもラインも来ないことは分かってい…

ドトールな人々 読む人

時折、コーヒーを一口飲みながら、ずっと、静かに文庫本を読んでいる。 喧騒の店内で、彼女の周りだけが、あたかも静寂に満たされた緩やかな時間が流れているようだと、櫻井亘(わたる)は改めて思った。 彼女をこのドトールで初めて見たちょうど一年前の記憶…

ドトールな人々 白いテンガロンハットの男

もう1時間近く経つのに、その席には誰も座らない。 もちろん、煩瑣いナベさんの隣だったから、常連なら避けもしただろうが、混み合う日曜日の午前中にも関わらず誰も座ろうとはしなかった。 西島さんたち店員も不思議に思い始めた頃、そのテンガロンハット…

ドトールな人々 タバコ

ドトールの2階には喫煙ルームがあり、そのすぐ近くに挙動不審な男が座っている。 男は、35歳の竹下良平というこの街でも有名な資産家で、誰もが知っている大豪邸に住んでいた。とはいえ、良平がその豪邸で住み始めたのはまだ3年前のことだったし、帽子を…

ドトールな人々 金色と銀色のイヤリング

「こんなうまいコーヒーを飲むのは何年ぶりだろう」 秋山大輝は思った。 酒の飲めない下戸の大輝は、収監される3年ほど前までよく通っていたドトールのコーヒーを飲むのが出所した時の唯一の楽しみだった。 当時、大輝は薬品卸売会社に勤めており、多忙な日…

ドトールな人々 マッチングアプリ

平日はほぼ毎日訪れる倉田百合子のドトール滞在時間は短い。 長くてもせいぜい10分、短いと5分を切ることもある。 ギリギリまで寝ていたい百合子が、出勤前の慌ただしい時間に寄るのだからしょうがないと言えばしょうがない。 母親が入院してから、朝食は…

ドトールな人々 結婚指輪

本田雄一は、週末になると必ずと言っていいほどドトールに行くようになった。 娘の子育てがあらかた終わり、自由な時間が出来たためだったが、本当の理由は、ネームプレートに西島とあるその女性が自分を覚えてくれたせいだった。 レジカウンターの前に雄一…

ドトールな人々 ナベさん

吉岡孝は、ほぼ毎日ドトールに行くようになった。 もちろん暇になったからだ。 他に行くところがないし、やることもない。 昨年6月に定年退職してから、1年近くが経とうとしているが、この数ヶ月はほぼ毎日だ。 孝の会社の同期の10人に9人はシニア雇用…

エッセイ 雪の顔

二十年ほど前、転勤で札幌に数年暮らしたことがある。 最初の冬、初めて雪虫を知った。その名の通り、雪と間違うくらい白く小さな虫がフワフワ大量に舞い、雪の訪れを知らせるのだ。 雪にはいくつもの顔がある。 僕は、静まり返った早朝の銀世界が大好きだっ…