てんのなかのきぼう

短編小説を綴っています

トリガー

 僕の紙飛行機が輪っかをくぐったその瞬間、地鳴りのような大歓声が起こった。その場に何百人もいたせいかもしれない。

 隊長は痛いほど僕の背中を叩き、第十六団十五人ほどの仲間たちは、皆、手を叩き小躍りして喜んでいた。たかだか十メートルほど先の、ロープで括られた直径三十センチほどの輪っかを、手作りの紙飛行機で通すゲームだった。富士山の麓の朝霧高原に全国のボーイスカウトカブスカウトたちが一堂に集まった四年に一度のジャンボリーと呼ばれる大会に初めて参加した時のことだ。

 見渡す限りの広い場所に、テントが無数に張られていた。僕にとってあんなに楽しかった思い出は他にはない。唯一人輪っか通しを成功させた僕は一躍スターのようになり、僕の元には聞いたこともない土地の子供たちが集い、せがまれてバッチやワッペン、フラッグなどを交換したりした。初めて聞く方言がわからず何度も聞き返した。近くに自衛隊の基地もあって戦車に乗せてもらったりもした。誰もが無邪気に笑っていた。夕方になると、飯盒でご飯を炊き、手分けしてカレーを作った。炊き上がった米は水が少なかったせいか、火にかけていた時間が長かったせいか、固く、所々焦げていたが、とんでもなくおいしかった。

 食べ終わると、隊長の指示で、広場の真ん中に集まった。中央には、巨大なキャンプファイアー用に、木々が山と組まれ、その周りを何周にも取り囲むようにして、僕たちスカウトの子供たちは座った。すでに日は山の影に落ち、辺りは薄暗く、少し離れた同じ隊の仲間の顔も判然とはしなかった。八月とはいえ高原の肌寒さを感じながらも我慢して座っていると、誰かの号令が遠くに聞こえてちらちらと赤い火が見えた。すると、それはみるみる間に空に届かんばかりの大きな火柱となり、僕たちの顔を赤く熱く照らした。誰の顔も光り輝いて見えた。漆黒へと向かう空と山に対し、その大きな火柱だけが生き物のようにうねり、パチパチと音を立て、火の粉を舞上げて、見ろ、俺は生きてるぞと叫んでいるかのようだった。

 しばらくして誰かが歌を歌い始め、だんだんそれは大きな合唱になった。何曲も何曲も歌った。僕の知らない歌もあったが、合わせて歌った。最初、とても小さな声しか出なかったが、最後には喉が潰れんばかりに声を張り上げていた。前の方では、隊長が、隣を見ると青山くんが、僕と同じようにこれ以上ないくらい大きく口を開けていた。

 

 この年の春、それは僕が小学三年生のことなのだが、僕がカブスカウトに入団したのは母の智子の勧めだった。

「絶対、楽しいわよ。お母さんが保証する」

 僕は気乗りしなかったが母は行けば楽しいのだから行った方がいいと何度も言った。僕にはなんとなく母の気持ちは分かっていた。誰かの紹介で家に挨拶に来た吉田とかいう議員さんやPTAの役員会に出て初めて会う校長先生とも、臆せず親しげに話すような社交的な母と違い、あまり外に出て友達とも遊ばず、どちらかと言えば引っ込み思案で、家で絵を描いていたりするのが好きな僕が心配だったのだ。積極性に欠けると思っていたに違いない。母の口から男の子なんだからという言葉をよく聞いたから多分そうだと思う。あるいは父の満男のようになって欲しくないと思っていたのかもしれない。

 でも僕はこう思っていた。

 自分はお母さんみたいにすぐ誰とでもペラペラとお喋りしたりはしないが、クラスでは手をあげて発言もするし、休み時間には校庭でみんなと遊ぶし、確かに運動神経とかはいい方ではないけれど、かといって足立くんみたいにとんでもなく悪いわけじゃない。僕は僕だと思っているだけで、それはお父さんがいつもお風呂で僕に言っていることだ。でも、たぶんそれをお母さんに言ってもきっと分かってはくれないだろう。僕がカブスカウトに行くのは僕のためだと思っているだろうし、お母さんは自分の思い通りにならないと気が済まない性格だから。

「お父さん、お母さんが行けって言うけど、カブスカウト行った方がいいかな」

 バスタブに浸かり、僕は父に聞いてみた。

「和也は和也なんだから。誰がなんと言おうと和也が決めたらいいさ」

 父は、両手でお湯を掬い顔にかけ言った。いつもの、そして予想通りの答えだった。それ以上何かを父が言うことはないと僕は知っていた。父は無口で、大人しくて、でも優しくて、母とは正反対のようだと思っていたが、母と違って僕のことはよく分かってくれていると思っていた。僕はそんな父が大好きだった。

「そうだよね。僕は僕だもんね」

 風呂を出た僕は早速、母にカブスカウトには行かないと言った。

「いいの?青山くんも行ってるらしいわよ」

 母は僕の返事を予期していたかのようにすぐさま言った。そして、その返答は僕に刺さった。青山くんは僕の一番の仲良しで、少し前に転校してしまっていた。友達の少ない僕は寂しい思いをしていて青山くんに会いたいとずっと思っていたのだ。

「本当に青山くんに会える?」

「同じ団だから会えるわよ」

「うん、分かった。行くよ」

 こうして母の思い通りに僕はカブスカウトに行くことになった。

 

 カブスカウトの入隊式では、みんなの前で挨拶したり、誓いの言葉を言わされたりした。僕はいくつかあるその言葉を一生懸命覚えた。保護者と一緒に大きな声で言わねばならないとされていたから、一週間も前から何度も母と練習を繰り返した。それでも僕はとても緊張し、所々突っかかったり、詰まったりしたものの何とか言い終えた。

「よく頑張って覚えたね。おめでとう。ようこそ和也くん、これからは仲間だ」

 それまで厳しい顔をしていた隊長が微笑んで言った。隊の仲間たちが集まってきて、口々におめでとうとか、これから一緒に頑張ろうねとか、握手したり肩や背中を叩かれたりした。青山くんは最後にやって来て、ちょっとはにかんでいた。

「和也くん、これからまた一緒だね」

「うん、そうだね」

 僕もなんだか照れ臭いような気持ちだった。

 カブスカウトの行事は毎週のようにあって、街頭で募金活動をしたり、集まってロープの結び方を覚えたり、時には近場にハイキングに行ったりした。僕は何より青山くんに会えるのが楽しみで嬉々として出かけた。

 8月初旬の楽しかった富士山ジャンボリーが終わり、夏休みも後半に入ると、恒例の山登りキャンプが企画されていた。母は、やっぱり僕に行かせたかったのだろう。何度もきっと楽しいから行ってきたらと言うが、体力や運動能力に自信のない僕は、気乗りせず愚図愚図していた。

「青山くんも行くらしいわよ」

 母は言い、僕は悩んだ。本音は、青山くんの家に遊びに行くか、こっちに来てもらって二人でゲームをしたり、絵を描いたりして遊びたかったからだ。

 僕は青山くんに電話してみた。

「青山くん、今度の山登り行くの?」

「うーん。和也くんはどうする?」

「青山くんが行くなら行こうかなと思ってるけど・・」

「僕も和也くんが行くなら行ってもいいけど・・どうする?」

「どうしようか」

「・・じゃあ、山登りから帰ったら、僕んちで遊ぶ?」

「うん、そうだね。そうしよう」

 僕は電話を切って、母に山登りに行くことを伝え、帰ったら青山くんの家で遊ぶから車で連れてってと言った。結局のところ母の思い通りになったわけだ。

 

 八月下旬、山登りに参加した僕たち隊の子供たちは、副隊長の運転するマイクロバスに乗り込んで親たちに見送られ長野に向けて出発した。

 キャンプ場でテントを張り、その晩を寝袋で寝た僕たちは、翌朝早く起き出し、近くの冷たく綺麗なせせらぎで顔を洗い、飯盒炊爨で炊いたおにぎりを持って山に向かった。山といっても、子供の足で片道三時間程度の道のりだから、それほどのものでもないと隊長は言っていた。ところが、いざ登り始めてみると、足を取られやすい川や滑りやすい岩場、身を屈めてロープに捕まって登る急峻な場所などがあったりして、決して歩きやすくはない。

 僕は、とにかく必死になって皆について行った。遅れないことだけを考えていた。足元だけを見ていた。汗が額から顔や首にかけて流れ落ち、時々目に入って痛かった。喉が渇いて水が飲みたかったが我慢した。そうやって頑張っているとなんだか楽しくなってきた。自分にも登れそうな気がしてきて余裕が出たのか、皆の顔や足取りや景色さえ見られるようになった。

 登り始めて二時間ほど経った頃、少し広くなっている森の木陰で休憩となった。皆、赤く上気した顔に玉のような汗をかいている。めいめいで持ってきた水筒をごくごくと美味しそうに飲み、お菓子などを食べた。草むらに入って用をたす子もいた。僕は青山くんと並んで座り、持ってきたお菓子を青山くんにあげようとしたが、青山くんはいらないと言った。

「青山くん、大丈夫?」

 青山くんは、うんと言ったが、顔色が悪く、具合が悪そうだった。

「疲れたの?」

 青山くんは首を振った。青山くんは手をお腹に当てていた。僕はきっとお腹が痛いに違いないと思った。でも青山くんは言い出せないのだ。代わりに自分が隊長に言おうかと思った。自分もお腹が痛くなった時はいつもそうだったからよく分かる。授業中でもよく我慢していた。家に帰ってお母さんに言うと、そう言う時は正直に言うの、絶対がまんしては駄目、恥ずかしくなんかないんだからと言われたのを思い出した。でも、青山くんはきっと恥ずかしいから言えないのだ。僕はどうしてあげたらいいかわからなかった。

「おーい。そろそろ出発するぞ」

 隊長の大きな声が響いた。

「いいか。ここから頂上までは少しきつくなるぞ。どうしても疲れて登れない、もう止めたいというならここで止めてもいいぞ。どうだ。誰かいるか」

 僕はほとんど反射的に手を挙げた。

「ん。ああ、一人いたか。和也くんか。本当に止めるのか」

 僕は頷いた。

「ん。聞こえないぞ」

 僕は、はい、止めますと目を瞑って大きな声で答えた。

「そうか。わかった。では、ここから元の道を戻っていい。和也くん、テントで待ってなさい」

 隊長の声は心なしか冷たく響いた。

「どうだ。他にはいないか。いないな。よし。副隊長、すまんがよろしく頼む」

 僕は、水筒やお菓子をリュックサックに詰めながら、青山くんの方をちらちらと見た。青山くんが僕も止めますと言うとばかり思っていた。でも、青山くんは何も言わず地面を見ていた。

 僕はリュックを背負い、副隊長の後をついて歩き始めた。みんなが自分を見ているのが分かった。

「おーい。いいか、みんな。あんなふうにはなるなよ」

 しばらく歩くと隊長の声が背中の方から聞こえた。僕はなんだかとても惨めなやるせない気持ちになった。歩きながら副隊長は、大丈夫か、そんなに疲れたのかと心配してくれ、僕はただ黙って頷いた。

 テントに着くと、僕は一人、何時間もずっと皆の帰りを待っていた。青山くんが戻ってくるかもしれないと思って何度もテントから山の方を覗いたりもした。時々、副隊長が様子を見に来てくれた。気分はどうと聞かれ、大丈夫ですと答えた。せっかく朝作ったおにぎりも家から持ってきたお気に入りのお菓子も食べたいと思わなかった。

 夕方になって肌寒くなった頃、わいわいと遠くから声が聞こえてきた。テントから飛び出すと、戻ってきた皆は、誰もがやり切った満足げな眩しい顔をしていた。青山くんも同じだった。隊長は副隊長と何やら話した後、僕を一瞥し、和也くん、大丈夫かいと言い、僕が大丈夫ですと小さく答えると、すぐ行ってしまった。その後、また飯盒でご飯を炊き、バーベキューをした。僕は黙々と作業し、出来た料理を口に運んだが、誰もが別人になってしまったのか、自分が透明人間にでもなったのか、誰一人話しかけてはこず、今までとは違う世界にでもいるような感じがしていた。

 食事の後片付けを終えると、皆で前日集めた木材を組み上げ、キャンプファイヤーをして歌を歌った。口は動かしたが多分声はほとんど出ていなかったと思う。隣に座る青山くんに何度も声をかけようかと思ったが、その度に青山くんが僕を避けているように感じてどうしても声をかけられない。帰りのマイクロバスでも青山くんは僕の隣に座らず、僕の隣には誰も座らなかった。わいわい騒ぐ声が聞こえる車中で、僕はずっと窓の外だけを眺めていた。

 夕方、集合場所に到着すると、父兄に対し隊長の無事戻りましたという報告があり、それが終わって解散となったスカウトの子供たちは歓声を上げながら、迎えに来ていたそれぞれの父兄の元に駆け寄って行った。母と青山くんのお母さんも並んで待っていた。青山くんは最後まで僕を見ようとはせず、母親の手を引っ張るようにして帰って行った。

 車に乗り込むなり僕は言った。

「お母さん、僕、カブスカウトやめる。それから青山くんちにも行かない」

 母は驚き、何があったのかと聞いたが、僕は何も答えず、ただ前だけを見ていた。僕は何かにとても怒っていたが、同じくらい悲しく今にも泣き出しそうだった。

 家に戻ってから母は何度も僕にカブスカウトをやめる理由を尋ねた。僕は答えなかった。自分でも何をどう答えていいのかよく分からなかった。僕は僕だと心の中でずっと自分に言い聞かせていた。

 そんな僕に郷を煮やしたのか母は言った。

「どうせ青山くんと喧嘩でもしただけでしょ。友達増えたってあんなに楽しそうだったじゃない。山登りだって嫌がってたけど行ってみたら出来たんだから。まだ一年も行ってないのにやめるなんてもったいないわよ。ね、お母さんが青山くんのお母さんに仲直りするように言ってあげるから」

 不意に込み上げてきた涙が流れるのを堪えた僕は母に怒鳴るように言った。

「僕はやめるって決めたんだ!」

 母は一瞬たじろいでから、呆れたような顔をして何も言わなくなった。そばにいた父はただ黙っていた。その後、カブスカウトを退団した僕は、青山くんと一度も会うことはなかった。青山くんから連絡が来ることもなかった。

 

 

 無我夢中で走っているうちに、いつの間にか大人になり、僕は今、サンフランシスコ郊外に居を構え、シリコンバレーで働く毎日を送っている。

 家庭を持ち、娘が生まれ、仕事にも多少なりとも余裕が生まれたせいか、家でくつろぐふとした瞬間に、あのカブスカウトの出来事を思い出すようになった。

 思えば、あの日以降、思い当たる理由もなく、僕は来る日も来る日も猛勉強をするようになった。それまでの成績が嘘のように伸びていった。

 僕の変化は勉強に留まらなかった。

 引っ込み思案だった僕が、児童会役員選挙に立候補し、全校生徒の前でスピーチまでした。

 なぜ立候補したのか今もって説明できない。

 東大では、情報工学研究に没頭する一方、多くの女性とも付き合った。

 大学院を卒業すると、就職を勧める母の反対を押し切って、世界を二年ほど放浪し、その際にインドのリシケシュで知り合ったアメリカ人研究者に誘われる形で、アメリカに渡り、彼が立ち上げたITベンチャーの共同経営者となった。

 

 あれは僕にとってどんな意味があったのだろう。

 隊長はどんなつもりであの言葉を言ったのか。皆や青山くんが僕を避けたのはなぜか。そして僕は、なぜ誰にも何も言えなかったのか。

 僕はこう思った。

 隊長はそれほど疲れているふうでもないのに山を降りると言った僕が情けないと思い、皆の士気に関わると思ってあの言葉を言った。それでみんなは隊長から僕と同じように見られたくなくて僕を避けるようになった。青山くんは、自分の代わりに僕が手を挙げたことは分かったが、やはり恥ずかしくて言い出せなかった。それが隊長の言葉で僕が悪者みたいになってしまい、さらに心の重荷となって、僕をまともに見られなくなった。子供のことだ。きっとそうだろう。

 では、僕はどうなのか。

 青山くんに一緒に山を降りようとなぜ言わなかったのか。隊長の言葉が背中に聞こえた時、なぜ振り返って、違います、僕は元気ですと言えなかったのか。

 ここで、もしかすると僕は僕だという思いに拘泥していたせいではないかと思い当たった。僕は恥ずかしいと思う青山くんを気遣ったように見せて、実は青山くんは恥ずかしくとも自分で言うべきだという未熟で硬直した考えがどこか心の内にあったように思えるのだ。

 それに、衝動的とはいえ、やはり僕は僕として手を挙げてしまった以上、それを誰になんと言われようと甘んじて受け入れるしかないと思ったからこそ隊長に抗議も出来なかったのではないか。

 これらの思いは僕の心を萎えさせたが、一縷の救いは、手を挙げた衝動そのものに隠された思いや嘘はなかったと思えたことだった。

 それにしてもあの後、僕が自分でも信じられないほど変化したのはなぜなのか。

 今まで何度となく思いを巡らしてきたが、やはり分からない。あれが僕の人生を大きく転回させるトリガーになったのは間違いないと思うのだが・・。

 待てよ。もしかしたら僕の中にはいくつかの種のようなものがあり、一定の条件の下と何かのトリガーでそのうちのどれかが発芽したのではないか。

 

 父は、ごく普通のサラリーマンで無口で大人しく誠実な人柄だったが、出世することなく定年退職した。今思えば、母が近所の仲の良い主婦を何人かパートで雇い、いきなりカフェを開いたのも父の稼ぐ収入だけでは心許ないと思ったからだろう。母にはその才覚があった。臆せず誰とでも快活に話し、すぐ友達になった。お節介で人の世話をよく焼いた。後で聞いた話だが、カフェを開く資金や、場所なども知り合いのコネをうまく使ってあっと言う間に手配したらしい。

 今やそのカフェは店舗を増やし、抱えるパートやアルバイトは数十人もいて母は一端の経営者だ。父は母のカフェを手伝わされているが、無口なのは相変わらずで、客あしらいに長けている母にすればそれが不満のようだが、従業員の面倒なシフトをあれこれ考え、主婦や若い子たちの複雑な人間関係や店への愚痴(多くは母への不満だろう)を黙って聞いてくれる父が便利とも思っているようだ。

 父にしてみれば、主客が逆転したような生活が面白いはずはないと思うのだが、僕には、強引な母に文句一つ言わず、黙って人の話を聞き、皿やカップを洗い、電卓で売上伝票の計算を黙々とこなす父の姿が目に浮かぶ。そして今は分かる。それは弱さでなく父の真の強さだと。

 

 僕は、父と母から知らず知らずのうちに多くを学んでいたのだろう。

 それは、僕の中にあった種の一つが発芽する条件となり、理由は分からないが、カブスカウトでの出来事はそれを発芽させるトリガーとなったように思える。

そうとでも考えないと僕にはとても説明がつかない。

 ただ、よく考えてみると、トリガーになったのは、あの衝動そのものだ。

 隊長に「山を降りたい者は手を上げろ」と言われたあの刹那、僕の中に生じた衝動は少なくとも考えではなかった。

 

 あの衝動はどこからやってきたのか。

 やはり分からない。分からないが、人生を大きく転回させるトリガーは、いつもあのようにしてやってくるのかもしれない。