てんのなかのきぼう

短編小説を綴っています

竜造の家出 改稿版

 

 裏口のドアが開いてコンビニの店員が出てきた。

 まずい。竜造は慌てて、ゴミ箱の蓋を閉めてその場を離れた。

 今日も何も食えずか。夕闇迫る五月下旬の札幌の、寒々とした冷気の中を、とぼとぼといつもの雑居ビルに辿り着き、二階の階段の新聞紙を敷き詰めた踊り場に座り込む。

 もう丸二日、水ばかりで何も食べていない。空腹と疲れと寒さで麻痺しかかった頭で、竜造は思う。何でこんなことになってしまったのだろうと。

 

 もうすぐ五十六歳になる升田竜造は高卒で中小企業である今の会社に入り、異例ともいえる部長にまで昇進していた。先代社長に可愛がられたおかげもあったが、竜造には人を惹きつける人間的な魅力があったし、何より人一倍努力する男だった。竜造には、苦楽を共にする三十人ほどの部下がいて、給料こそ決して高くはなかったが、社員たちはアットホームな雰囲気のなかで、愛社精神を持って楽しく一生懸命働いていた。

 ところが一年前、先代社長が六十四歳で急逝すると、社内の雰囲気は一変する。メインバンクにいた三十九歳の娘婿が社長になったからだ。若社長は、利益を声高に叫び、コストカットを強力に押し進めたに止まらず、余剰人員を削減すると言い出した。

 これには竜造もさすがに我慢ならず社長室に乗り込んだ。竜造のモットーは、先代社長から教えられた、何事も正面からぶつかれ、だった。

「社長、私は三十七年間、この会社で働いてきました。ご存じではないでしょうが、その間、会社も今ほどいい時ばかりではありませんでした。業績不振で給料が払われず、何ヶ月も遅れた時も、みんなと歯を食いしばって頑張ってきました。その仲間を社長は余剰人員とおっしゃって辞めさせようとしています。しかも会社が過去にないほど順調なときにです。これには到底、納得できません」

 竜造には、若社長のちっという舌打ちが確かに聞こえた。

「升田さん、いいですか。会社は利益が全てなのですよ。それに人員整理は会社の状況が良いからこそやるのです」

「社長、私には経営の難しいことは分かりません。ただ、ずっと共に頑張ってきた仲間が辞めれば会社の業績に必ず影響が出ます。残った連中もやる気を無くします。長く勤めている私にはわかります。考え直していただけませんか」

「そうならないようにするのが升田さんたち管理職の仕事ではありませんか」

 冷たく言い放つ若社長を睨みつけ、竜造が言葉を絞り出す。

「うちには三十人の部下がいます。皆必死になって頑張ってくれている者ばかりです。このうち最低三人を辞めさせろと言われています。私にはそんなことは出来ません」

 しばらく考え込んだ後、口元を緩ませ、若社長は言った。

「それなら、升田さんが代わりにお辞めになったらいかがですか。あなたなら部下三人分くらいには相当するでしょう」

 竜造の顔色はみるみる間に真っ赤になっていく。

「分かりました。私が辞めます。その代わり部下の三人は辞めさせません。いいですね」

 竜造は怒りのあまり、若社長の口車に乗ってしまった。

「いいでしょう。では忙しいので」

 若社長は、話は終わったとばかり、デスクの上の書類に目を落とした。社長室を出た竜造は、自分のデスクに戻るなり、早期希望退職希望の用紙に記入し、人事課長の元に行った。

「りゅ、竜さん、これ」

「間違いなく出したからな。あと、俺んところは誰も辞めさせないって社長と約束してきたから。いいな。それと、これは誰にも言うなよ」

「わ、わかりました」

 竜造の迫力に気圧された人事課長は、何が起こっているのか分からないまま、用紙を受け取った

 家に帰った後、妻の泰子に話すと、案の定、恭子はヒステリックになった。

「お父さん、いくらなんでも自分勝手すぎるでしょ!どうして前もって相談してくれないのよ」

「うるさい!辞めるって言ったら俺は辞めるんだ!」

 竜造は、湯呑み茶碗を食卓のテーブルに叩きつけるように置くと、大きな足音を立ててダイニングルームを出ていった。

 竜造の出社最終日の夕方、竜造は多くの社員の前で花束と記念品を受け取り、竜造万歳と書かれた黄色のレイを掛けられ照れ臭そうに頭を掻く。会社の正門を出るところで、顔馴染みの守衛のシゲさんから声をかけられた。

「竜さん、今日で最後だって」

「うん、シゲさん、長い間お世話になったね」

「これ、持ってってくれ」

 シゲさんが、詰所の奥の方から紙袋を持ってきて、竜造に渡す。

「何かあった時にと思ってとっておいた酒だ。旨いぞ」

 シゲさんの目に涙が光っていた。

「ありがとよ。大切に飲ませてもらうよ。シゲさん、あんまり飲み過ぎるなよ。体、大切にな」

 その時だった。社屋から多くの社員や食堂の給仕、掃除婦までが出てきて竜造を取り囲んだ。多くの者がハンカチやらティッシュやらを目に当てながら。

「ありがとう。本当に長い間、ありがとう。みんな頑張れよ」

皆に最後の別れを告げ、正門を出て駅方向に歩き始める竜造の背中に、竜さーんという声がいくつもかかり、さすがの竜造の目にも涙が滲んだ。

電車の中で、黄色いレイを襷掛けした竜造は放心していた。これで良かったのだろうかという思いが離れない。

 家に戻ると、最終日とあって食卓には泰子が腕によりをかけた豪勢な食事が並んでいた。

「長い間、お疲れ様でした」

泰子がビールを注ぐ。

「うん、ありがとう」

 そう言ってビールを一口飲むが、竜造の表情は冴えない。せっかくの料理にも箸が進まず、目はどこか虚ろで、心ここにあらずという状態だ。

「聞いてないの?」

「ん?なんだっけ」

「だから。これからどうするの?」

「どうするって、今日辞めてきたんだぞ。まだそんなこと考えてるわけないだろ」

「だって困るじゃない」

「何が」

「何がって、この家のローンだって残ってるし。浩一にも仕送りしなきゃならないし」

「わかってるよ」

「本当にわかってるの」

「何が言いたいんだ」

 竜造がイラついた表情に変わっていく。

「やっぱり辞めない方が良かったんじゃない」

 恭子の一言に、竜造は、無言で箸を置き、ダイニングテーブルを立って部屋を出ていく。

 早朝、まだ暗い中をそっと起き出した竜造は、居間に行き、便箋を取り出して綴った。

「しばらく家を出る。心配はいらない。数日したら帰る。竜造」

 それをダイニングテーブルの上に置き、泰子が風呂に入っている間に、用意しておいたボストンバッグを持って家を出た。

 

 竜造は、辞めてから泰子と来るつもりだった札幌に来ていた。五月の札幌がこんなに寒いとは知らず、ジャケットの襟を立てて、大通り公園を歩き、時計台を見て、北大のポプラ並木を散策した。夕方になって、ススキノで、ジンギスカンで腹ごしらえし、店を出てぶらぶらしていると、細い路地の先に佳代という小さなスナックを見つけた。まだホテルに帰るには早いと思い、一杯だけ飲んでいくかとドアを押し開けた。

「いらっしゃい」

 まだ時間が早いせいか客は誰もいない。ママは四十前後だろうか、色白のなかなか艶っぽい女性だった。カウンターに座って、ウイスキーの水割りを注文する。

「どちらから?」

「ああ、東京」

「一人で?」

「うん」

「あら、何か訳アリって感じ?」

「いや、そんなんじゃないよ。会社を辞めたから骨休めにぶらっとね」

「へえ、じゃお祝い?それとも」

「お祝いだよ。だからママも飲んでよ。おれは竜造ってんだ」

「じゃあ竜ちゃんね。私は佳代」

 水割りで乾杯した二人は、夜が更けるとともに大いに盛り上がっていった。

「しかし、この店ヒマだねえ。ヒック。全然客が来ないじゃないか」

「最近不景気だからよ。まあ、いいじゃないの。飲みましょ」

 翌日、竜造が目覚めたのはすでに昼近くだった。枕元から呼び出し音が聞こえる。吐き気とガンガンする頭で何とか受話器を取る。

「お客様、延長でよろしかったでしょうか」

「えんちょお?」

 竜造は、がばっと起き上がり、周囲を見渡すとどう見てもラブホテルのようだ。

「す、すぐ出ます」

 飛び起きてズボンやシャツを急いで着る。ところが、ボストンバッグがどこを探しても見当たらない。バッグには着替えと銀行やクレジットのカード類、運転免許証まで入っている。焦って部屋中を捜しまわるが見つからない。ベッドの上のくしゃくしゃになったジャケットには、財布とスマホが残されていた。混乱した頭のまま、六千円を払ってホテルを後にし、近くの交番に行った。

「ああ、やられたね。いい女だったんでしょ」

「まあ、はい」

「すぐカードは止めた方がいいですよ」

 色白のいい女としか覚えていない。名前も場所も全く記憶にない。交番を出て、財布をもう一度確認すると一万二千円あるが、これではどうしようもない。しばらく考えた竜造は泰子に電話をした。

「もしもし、泰子か、おれだ」

「お父さん?ちょっと!何してんのよ!」

 二日酔いで痛む頭に泰子の大きな声が響く。

「うるさい。いいから聞け」

「何言ってんのよ!勝手に飛び出して!もういいかげん」

 頭に来た竜造はスマホを切った。ふと思い立ち、同僚で親友の岸本に電話を入れる。

「岸本か、俺だ」

「ああ、竜さんか、どうした」

「ちょっと女房と揉めてな。今、札幌にいるんだ」

「札幌?なんでまた」

「まあ、事情はまた今度。それより、数日したら帰るつもりだが、もしそれより長くなるようなら、女房には大丈夫だ、元気にしてるから心配するなと伝えてくれないか。ああ、それとカードを失くしたから、すぐ止めるようにと」

 岸本にはそう言ったものの、札幌に知り合いはいない。頭を両手でくしゃくしゃと掻きむしって、くそ、なるようになれと呟いた。

その後、安いビジネスホテルを探し、コンビニで食いつないで二泊を過ごした竜造だったが、とうとう持ち金が尽きてしまう。泰子に電話して、迎えに来てもらおうという考えが過ぎるが、妙な男の意地が邪魔をして、どうしても頼む気になれない。

行くあてもなく、暖かい駅地下街で夜を過ごそうと座っていると、夜半になって警備員が来て追い出されてしまう。寒い街をとぼとぼと歩き出した竜造は、鍵の掛かっていない古びた雑居ビルを見つけ、二階の階段の踊り場にへたり込んだ。幸い、店舗も潰れているのか、人気もなく、トイレもあって水だけは飲めた。

翌日も、食べ物を求めて街をうろつくが、どうしようもない。とうとう、竜造は、コンビニの裏手に回り、賞味期限切れの食べ物でも捨ててないかと、ゴミ箱を漁ろうとしたところへ、裏口のドアが開いて店員が出てきてしまった。

 俺はこれからどうしたらいいんだ。雑居ビルの階段の踊り場で竜造は思った。

 

次の日の朝、街をうろつき始めたものの、さすがに精も根も尽き果てた竜造は、疲れと空腹で道端に座り込んでしまった。もう寒さも感じなくなっていた。俺は死ぬのかと思った。

「おっさん、おい、おっさん!」

 竜造が顔を上げると、三十半ばのその男は、竜造を抱えるように立たせ、肩を貸して歩き始めた。

「どこ行くんだ」

「まあ、いいから」

 着いたのは、札幌駅バスターミナル脇の地下道入り口だった。

「あれ、ヒデさん、どうした、その人」

「ああ、ゴンさん、この人やばそうなんで連れてきちゃった」

「へえ、珍しいね。まあいいや。ヒデさんが連れてきたんなら面倒見るしかないな。なあ、マサさん」

「そうですね。じゃあこっちに座らせたら」

 五十がらみのマサが指差した、厚手の段ボールが敷いてあるところに、ヒデにつかまるようにして竜造は座った。

「ほい、これ。あんまり慌てて食うなよ」

 七十前後と思われるゴンが、コンビニのサンドイッチと水の入ったペットボトルを竜造に差し出すと、竜造はむさぼるように食べ水を飲む。

「ありがとうございました」

 絞り出すように竜造が言う。

「まあ、事情は後だ。また腹が減ったらヒデさんに言いな。今日はよく体を休めなよ」

 腹が満たされた竜造は、新聞紙にくるまって死んだように眠った。

 翌朝、竜造が目を覚ますと、ゴンたち三人はすでに何やら相談している。

「おお、起きたか、あんた、名前は?」

 ゴンが言う。

「竜造と言います」

「そうか、じゃこれから竜さんだ。竜さん、よく聞くんだぞ。おれたちはホームレスだが、物乞いをしたり、食いもん拾って生活してるわけじゃない。ゴミにされるような不用品を回収して売るんだ。中にはカネになるもんがある。つまり仕事をしてるわけだ。いいか。分かったら竜さん、あんたの縄張りはここだ。自分の食い扶持は自分で稼ぐんだぞ 。誰も助けちゃくれないからな。なんか見つけたらおれんとこへ持ってくるんだ」

ボロボロになった市街図に、鉛筆で丸をつけた場所を示してゴンは言った。

 竜造はゴンに指定された自分の縄張りをうろうろ見て回るが、金になりそうなものなど見つからない。そろそろ薄暗くなりかけた頃、道端のブルーネットで覆われたゴミ捨て場の中に一つの段ボール箱が目に入る。何となく気になった竜造は、周囲を気にしつつ中身を確認すると二十枚ほどのDVDと古いゲーム機が入っている。もしかしたら多少の金になるかもしれないと思い、竜造は段ボールを抱えてゴンの元に戻った。

「おおっ竜さん、こりゃビギナーズラックだな。ええっと、ほいよ」

 段ボール箱を確認したゴンは、そう言って腹巻の中からがま口を取り出し、百円玉十個を竜造に渡す。

「こんなになるのかい」

両手で受け取った竜造は目を瞠る。

「ああ、DVDは大したことないが、古いゲーム機は結構いい金になるんだ」

 竜造は、ゴンとマサに二百円、ヒデには三百円を渡した。

「何これ、いいのか竜さん」

 驚いたヒデに、竜造が微笑む。

「世話になったし、幸運は分け与えないと」

 残りは三百円だったが、今の竜造にとってはとんでもない大金だった。

 それから数日、札幌に来て十日が経とうとしていた。

 竜造は、閉店するスナックの裏で、ビールケースの中にあったほぼ手付かずのウイスキーボトル二本を持ってゴンたちの元に戻った。

「お、竜さん、また当てたな。こりゃいい酒だ。開けてない方は、五百円だ。開いてる方は金にはならんが」

「じゃみんなで飲もう」

 四人は適当なつまみを持ち寄り、車座になって飲み始めた。久しぶりの酒に酔いが回った竜造が聞く。

「そういえば、みんな元は何してたんだい」

「竜さん、それはご法度だよ」

 マサがすかさず言う。

「まあ、マサさん、こうやっていい酒飲めるのも竜さんのおかげだ。大した話でもあるまい。竜さん、俺は小さな建設会社をやってたんだ。酒とギャンブルでダメにしたんだが」

「俺は、タクシーの運転手だよ。客と喧嘩してクビだ」

 マサが言うと、ヒデは、床屋だと言ったが、辞めた理由は言わなかった。

「へえ、色々なんだな」

「そういう竜さんはどうなんだ。本当は帰る場所があるんだろ」

 ゴンに言われ、竜造は会社を辞め、家を出た経緯を話した。

「そっか。それにしてもあれだな。俺も偉そうに言えた義理でもないが、男が意地張った以上、奥さんの小言くらい黙って耐えんとな」

「なんだよ、ゴンさん。そんな言い方ないだろ。自分だってギャンブルで会社駄目にしたくせに。奥さんだってどうせ泣かしたんだろ」

酔った竜造が気色ばむと、ゴンが竜造を見据える。

「その通りだよ。でもな。いいか、竜さん。自分を犠牲にして部下を守ったのにって思ってんだろ。本音はまだ会社を辞めたくなかったんだろ。それを分かってくれない奥さんに八つ当たりしてるんだろ。んで、そんな自分に本当は一番腹立ててるんだろ。違うかい」

 竜造には何も言い返せなかった。

「甘いんだよ。そんな程度で家を出たなんて」

 ゴンに続いてマサも言う。

「ゴンさん、マサさん、そこまで言わなくても」

「いや、ヒデさん、マサさんの言う通りだ。この男は甘っちょろいんだよ。俺たちみたいに別に地獄を見たわけじゃない。たかが女房に愚痴られたくらいで、札幌まで来て、スナックでいい気持ちで酔っ払った挙句がこれだって。笑わせるぜ」

 竜造は怒りで震えるが、やはり何も言い返せず黙って俯いている。

「女房にでも電話して、とっとと帰れってんだ」

 マサが言うと、竜造は立ち上がって、無言でその場を立ち去った。恥ずかしさと怒りが収まらず、夜の街を一晩中歩いた。疲れ果てて、大通公園のベンチで座っていると、朝日が差し込んでくる。

スマホショップが開くのを待って、充電をし、泰子に電話をかけた。

「心配かけてすまん。俺が悪かった」

 電話口で泣く泰子が落ち着くのを待って、事情をかいつまんで話すと、恭子も岸本から聞いて、会社を辞めた事情を知ったと謝った。

 夕方、竜造は、ゴンたちの元へと戻った。

「俺が間違ってました。帰ります。お世話になりました」

「へえ、そうかい。ま、それがいいだろう。じゃ、元気でな」

 ゴンは冷たく言い放った。

「いつ帰るんだい」

 ヒデが心配そうに尋ねる。

「明日の昼の便で。ヒデさん、本当に世話になったね。ありがとう」

 竜造は、雑居ビルの階段の踊り場で一晩を過ごし、少しずつ貯めていたお金をはたいて、新千歳空港まで行った。まだ、泰子が到着するまで二時間ほどある。到着口近くのベンチで座っていると、竜さんと声がした。

「あれ、ヒデさん。どうした」

「これ」

 ヒデは、紙袋を竜造に手渡した。中を見ると、新品ではないが、パリッとしたスーツと革靴が一足入っている。

「何だい、これ」

「ゴンさんがあのなりじゃ恥ずかしいだろうから持っていってやれって」

 竜造は全てを理解した。ゴンとマサは、俺に気づかせるために、あえてあのような言い方をしたのだと。竜造は涙が溢れて止まらなくなった。

ヒデは、トイレで伸びた髪や髭の手入れまでしてくれ、名残惜しそうに帰っていった。

 定刻になって、到着口から泰子と岸本が出てきた。泰子は、竜造を見るなり駆け寄って泣き出し、竜造は泰子の肩をぽんぽんと叩いた。

「何だ、お前まで来たのか」

「来たのかはないだろ。俺だって随分心配してたんだぞ」

「そうだな、すまん」

「それにしても、奥さんから聞いてた話と違って、意外にこざっぱりしているじゃないか。本当にホームレス同然の、飲まず食わずだったのか。そんなに大変だったようには見えないな」

「まあ、追々、飲んだ時にでも話すよ」

 飛び立った飛行機の窓から北海道を見下ろし、竜造は改めてゴンたちに感謝していた。

「竜さん、それ」

 隣に座っている岸本が、何やら竜造の足元を見ている。視線を下に落とした竜造が、よく見ると、黒い革靴が左右で色も形も僅かに違っている。

「ああ、これか。札幌のホームレスの間で流行ってるんだ」

 竜造はそう言って笑った。

 

 家に戻った竜造が、ハローワークに通い始めて二週間ほど経った頃、竜造あてに大きな段ボールが届いた。差出人は、札幌市南区の藤崎佳代となっている。

「お父さん、札幌からなんか荷物が届いたわよ」

 泰子が抱えて居間に持ってきた。

「なんだ。藤崎佳代?誰だろう」

 竜造が、段ボールを開けると、盗まれたと思っていたボストンバッグが入っていた。開けてみると、着替えやカードなどがそのままになっている。脇の方には封筒があり、中には一枚の便箋と名刺が入っていた。

「竜さん、お元気かしら。あの夜はホテルに置き去りにしてごめんなさいね。でもあんまり竜さんが酔ってて、どうしようもなかったものだから。竜さんが取りに来ると言ってらしたので、ずっとお店でバッグを預かってはいたのよ。でもさすがに1ヶ月近くも経つし、申し訳ないと思いながら開けさせてもらいました。カードとか困ったでしょう。免許証に住所があったので、そちらにお送りしますね。でも、あの夜は本当に楽しかったわ。また来てね。佳代♡」

 名刺のスナック佳代の文字を見て、竜造の記憶が一気に蘇った。

「何?それ?」

 泰子が覗きに来ると、慌てて手紙を隠す竜造だった。

                                     了