てんのなかのきぼう

短編小説を綴っています

ちゃちゃ

 

パパは、クリスマスの日の夜、今度は札幌だよと言った。そして、1月10日が公示だから、引っ越しはその後だなと続けた。

 私は中学1年生、2人の妹は小学4年生と1年生だった。

 登校最後の日、いざ前に立ってみると、クラスのみんなの顔がまともに見られなくて、あれも言ってやる、これも言ってやると決めていた話は何一つ出来ないまま、声が小さくなるにつれて、顔もだんだん下を向いてしまった。

 吉田美幸先生は、転校するのが寂しいのだろうと勘違いして、優しく私の肩を抱いてくれた。

 

 引っ越しの日、朝から妹たちの大の仲良しの朋美ちゃんや加奈ちゃんがやって来て、二人はずっと泣いていた。

 私は泣かなかった。

 ママとパパは、「強くなったね。さすがお姉ちゃん」と褒めてくれた。

 でもそれは違う。2度目の転校だったし、もう中学生だし、お姉ちゃんだけど、それは違う。悲しくなかったから泣かなかっただけだ。

 本当のことを知っていたのはちゃちゃだけだった。

 ちゃちゃは、聞き上手で、余計なことは言わず、ときには優しく慰めてくれる最高の相談相手だったから。

 ちゃちゃ、私、不安で不安でしょうがないよ。

 今度は友達できるかな。

 またいじめられたらどうしよう。

ちゃちゃは、きっと大丈夫だよ、と私の鼻をちろっと舐めてくれた。

 

ちゃちゃは、5年前に静岡県浜松市から三重県津市に引っ越してすぐの頃、パパが拾ってきたメスの三毛ネコだった。

道端で佇む子ネコが、車のヘッドライトに一瞬映し出され、一旦は通り過ぎたが、やっぱり戻って拾ってきてしまったと、ネコの嫌いなパパは言い訳するように言った。

冷たい雨が降る夜だった。

大のネコ好きのママは、しょうがないわねと言いながら、想定外に飼うことになった子ネコをタオルケットにくるんでその濡れた小さな体を優しく拭いていた。

私たち姉妹は当時大好きだった、赤ずきんちゃちゃという漫画から、ちゃちゃと名付けた。

ちゃちゃはミルクもあまり飲まず、下痢が止まらなくて、ママが動物病院に連れていくと、お腹に虫がいると言われて薬をもらってきたが、回虫症とかいう子ネコによくある病気で、死ぬようなことはないと聞いて私たちは胸を撫で下ろした。

私たち姉妹とちゃちゃは一緒に大きくなっていった。

ちゃちゃは大きくなってもとても憶病で、外に出してあげてもすぐ帰って来るし、他のネコが庭に現れようものなら、あっと言う間に2階の部屋の片隅に逃げ隠れてしまうくらいだった。

パパは、あんな小さなときに、親と引き離されて、捨てられて、冷たい雨の中で寂しく泣いていたから憶病になっちゃったんだよと言った。

ちゃちゃはとても優しくもあった。

当時パパは仕事が忙しく、いつも疲れた顔をしていて、そのせいか、よくママと口喧嘩をした。そんなとき、必ずちゃちゃはそっと動いてパパとママの間に座っていたのを私は知っていた。

ちゃちゃは仲裁しているつもりだったのだ。

なぜなら、私と妹が喧嘩したときもいつもそうだったから。

 

札幌へ行く日、ケージに入れられたちゃちゃはぐったりしていた。

憶病なちゃちゃは乗り物が大嫌いだったから、動物病院で麻酔の注射をしてもらって運ぶためだったが、私たちは心配で心配でしょうがなかった。

札幌に着くと大雪で、新しい家に荷物を入れるのも大変そうだったが、私と妹たちは、雪が珍しくて庭に積もった雪をかけ合ったりして遊んでいた。

ちゃちゃがいなくなったのはその引っ越しの最中だった。

大きな荷物は、庭から入れるために窓を開けたり閉めたりしていたので、気付かぬうちにそこから逃げたのかもしれないとママは言った。

パパはそのうち帰ってくるよと言ったし、私たちも臆病なちゃちゃのことだからそうだよねとそれほど心配していなかったのだが、その夜どころか次の日もちゃちゃは帰ってこなかった。

ママは私がもっと気をつけていたらと泣いた。

人目も憚らずにあんなに泣くママを見たのは初めてだったので、ママもちゃちゃに助けてもらっていたのだと初めて知った。

動物病院の先生は、庭から出たときに他のネコとか車とかに驚いて逃げたのかもしれない、最初の1週間くらいは、半径200メートルくらいのどこかに隠れていると思うが、それ以上過ぎるとどこかもっと遠くに行ってしまうかもしれないし、この雪なので餌がないと死んでしまうかもしれないと言った。

それを聞いたママは次の日の朝、よく眠れなかったのか、泣いていたのか、目が充血していた。

次の日も、その次の日もちゃちゃは帰ってこなかった。

北海道特有の長い冬休みが終わり、札幌の新しい学校へ行く日が近づいていたが、私は、ちゃちゃがいないことが寂しくて、悲しくて、不安で不安でしょうがなくて、とても学校に行く勇気が持てなかった。

ママとパパと私は、毎晩、厚着をして長靴を履いて、懐中電灯を持って雪のなかを捜して回ったが、姿どころか、どこのネコかも分からない雪の中の足跡しか見つけることができず、冷え切った体に落胆が重くのしかかった。

ママのお願いで、パパがパソコンで作ってくれた、ちゃちゃの名前と写真入りのポスターを持って、私とママは、近所の家々や食品スーパーやラーメン屋、美容院からガソリンスタンドなどのお店まで、ちゃちゃのようなネコを見かけたら連絡をくださいとお願いして回った。

ママは私と同じく、どちらかというと引っ込み思案で、人前では物怖じするタイプだと思っていたけど、手当たり次第と言っていいほど呼び鈴を押して、出てきた人にどんどん話しかけていく。

お店なんかにも、他にお客さんがいようが関係なく、お構いなしにずんずん入っていって、ポスターを押し付けるようにして説明する。

ママっていざとなったら凄い。

ちゃちゃがいなくなって6日目の夜、ママはとうとう玄関に布団を持ってきて寝ると言い出した。それまでも、いつちゃちゃが帰ってきてもいいように、玄関ドアはずっと開けっ放しだったし、灯りも点けっぱなしだった。

札幌の家は大体、冷気が入らないように玄関は2重ドアになっていて、内側の扉はガラスの引き戸になっていたから、ママは、玄関で寝ていればもしちゃちゃが帰ってきてもすぐ気づけるでしょと言った。

パパはずっと寝不足で疲労の色が濃いママが心配で、さすがにそれは止めろよ、体に悪いよと何度も止めたが、ママは頑として聞かず、パパは弱々しくソファに座り込んでしまった。

 

ちゃちゃは、翌日の朝、ひょっこり帰ってきた。

私たちはママの歓喜の叫びを聞いて、まさかと思い、2階の部屋から転げ落ちるように階段を駆け下りると、痩せて一回り小さくなったちゃちゃがそこにいた。

ちゃちゃを見た私が泣き出したので、妹たちもつられるように泣き出した。

ママは毛布を持ってきて、ちゃちゃを包んで抱き、寒かったね、お腹すいたねと何度も言いながら優しく撫でた。

ママからのラインでちゃちゃが戻ったと知ったパパは、それこそ飛ぶように仕事から帰ってき

て、ちゃちゃを大きな手で優しく抱いて、ママと同じように、寒かっただろう、ごめんなと何度も言って撫でていた。

パパは私たちにずっと顔を背けていたからきっと泣いていたのだと思う。

その夜、パパは近所にある回転寿司のお店で、家族5人では食べきれないほどの寿司を買ってきて、ちゃちゃ生還のお祝いをした。

さすがに北海道のいくらやカニは飛びっきり美味しくて最高だったけど、ママも私たちも苦手なウニだけは、パパが大喜びで食べていた。

ちゃちゃが帰ってきた喜びと明日から始まる学校が楽しみでしょうがない妹たちは、風呂を出た後、きゃあきゃあとハイテンションで家の中を駆け回っていた。

妹たちの甲高い声にびくともせず、居間のソファの上で気持ち良く寝ているちゃちゃに、

「お前は、憶病だけど強いやつだな」とパパがぼそっと言った。

 夜、ベッドに入ってはみたものの、なかなか寝付けない私のところに、ちゃちゃがそっとやって来た。

 

翌日、雪のなかを歩いて新しい学校に登校した。

担任の先生に連れられて、教室に入り、紹介された。

私は、ちゃちゃに言われた通り、胸を張ってクラスのみんなを正面から見て、ちゃんと最後まで大きな声で挨拶した。

そして、自分の好きなアイドルと好きな食べものと家族とちゃちゃの話をした。

席に着くと、隣の女の子が、

「うちにもネコいるよ」

 と、嬉しそうに話しかけてきた。

                                          了