てんのなかのきぼう

短編小説を綴っています

雪の正受庵

 僕の求めているものは見つかるだろうか。

 でもどうあろうと今の僕には行くしかないのだ。

 そこに見つけたいものがあろうとなかろうと。

 

 12月中旬の火曜日、僕が乗車する北陸新幹線はくたかは10時32分に東京を発った。

 長野県の飯山市にある正受庵が本来の目的地だったが、どうせなら少し足を伸ばして、富山に住む古い友人にも会ってみようかと思い立った。20年ぶりに連絡を入れると、彼は僕の電話に驚きはしたものの喜んでくれた様子だった。仕事が終わり次第僕の泊まるホテルに駆け付けてくれるらしい。少し遅くなりますがと言われ、僕はもちろん大丈夫、風呂でも入ってのんびりしてるからと答えた。

 

 北上する車窓から僕はぼうっと冬景色を眺める。

冬雲の隙間から時折顔を覗かせる太陽の光は、夏の太陽のそれとは異なり、レーザービームのような強い単焦点の光のようだ。その眩しい光には、未来とか希望といった前向きな感情が含まれているように感じる僕は車窓のシェードを思わず引き下ろす。

 上田駅に着く頃には、山々にごく薄く均一に白粉を撒いたようになっている。すでに太陽の光はどこにもない。列車は千曲川の清流に沿って進んでいく。

 長野駅を過ぎると一面の雪景色になってくるが、なぜか豪雪地帯と言われる飯山ではまったく雪がない。空も山も町も、車窓から見えるすべてが濃いネズミ色に染まっている。これが明日訪れる飯山の町か、こじんまりしていて山が近いなと僕は思う。

 正受さん、明日必ず伺います。

 新潟県糸魚川駅に12時過ぎに着いた僕は、乗り換え時間があるので、駅近くの定食屋で軽いお昼をとる。糸魚川からは、えちごトキめき鉄道というブルーの一両列車で泊まで行く。乗客は数人。右手の車窓には、冬の寒々しい日本海が続く。泊からは、あいの風とやま鉄道に乗り換えて魚津を目指す。

魚津駅には15時前に着いた。小雪が降りしきる中を歩いて、そのままどこに立ち寄ることもなく宿に入る。古いビジネスホテルのようなところだ。

何もする気が起きない。暖房を最大にしているが、部屋がなかなか温まらない。風呂にでも入ろうとバスタブに湯を張り、熱い湯に体を沈めると、冷え切って固くなった体が弛緩するのを感じる。

僕は彼に会って何を話そうというのか。

彼と知り合ったのは30年も前だが、この20年ほどは、年賀状の交換こそすれ、電話さえしたことがない。彼はたしか僕の2つか3つ下だから、57,8歳か。お互い、いい年になったものだ、当時、夫婦同士で会っていた頃は、たしかしっかりした感じの奥さんと可愛らしい息子さんがいたな。

彼が部屋のドアをノックしたのは20時を少し回っていた。

久しぶりに見る彼は、元々白髪交じりだった髪が真っ白にはなっていたが、他に大きな変化はなかった。挨拶もそこそこに、僕たちは宿から歩いてほど近い和食屋に落ち着く。

「ホントに久しぶり」と僕。

「本当ですねえ」と彼。

 ビールで再会を祝した後、互いの近況について話す。

僕の方は、今年3月に会社を定年退職し、暇を持て余していたが、色々あって今は再就職も含めてこれからどうするか考えているのだと言うと、自営業を営んでいる彼の方は、仕事は相変わらずで良くも悪くもなく、変わったといえば、2年前に住居を黒部に移したくらいですかねと言う。ただ奥さんとは離婚こそしていないものの、この10年ほど会っていないらしい。すれ違いですと照れたように言う。

「そうか、お互い色々あるなあ」と2杯目のビールを半分ほど飲んで僕が言うと。

「そうですね」と言った後に、彼が言葉を飲み込んだのが分かった。僕は、それにあえて触れず、話題を変えた。

「休みの日なんかは何してるんだい」

「まあ、大したことはなにも。洗濯や買い物もありますし・・。あと、恥ずかしい話ですが、ときたまパチンコ屋にも行ってます」

「パチンコ?へえ、前からやってたっけ」

「いえ、でも元々ギャンブルは結構好きなんです。たまに競馬もやりますし」

「そりゃ知らなかったな。おれは全くやらないからその気持ちはなかなか分からないけど」

「ヒマつぶしってわけでもないんです。大してお金は賭けないんですが、どうやって勝とうとか推理したり考えたりするのが好きなんです。だから今年もトータル10万以内で遊んでます」

「なるほど。そりゃ賢い遊び方だね」

 そう言ってはみたものの、休日に一人寂しくパチンコを打ち、馬券を買いに行く還暦前の彼の姿が浮かび、それ以上言葉を継ぐことが出来なかった。

 その後も熱燗を酌み交わし、昔話や他愛のない話をした後、明日も仕事があるだろうから、そろそろお開きにしようかと僕が言うと、

「明日はどうされる予定ですか?」と彼が言う。

「うん、長野県の飯山に寄ろうと思ってる。ちょうど帰る途中だから」

「知り合いでも?」

「いや、正受庵っていう昔の禅僧が修行した場所があってね。一度行ってみたいと思ってたんだ」

「へえ、そうですか。で、何時に出発します?」

 僕が大体このくらいだと答えると、彼が車で迎えに来てくれると言う。悪いからと遠慮するが、彼は午前中休みを取ったからと言って聞かない。結局、9時に迎えに来てもらう事にして店を後にする。食事代は、この程度なら経費で落ちますからと、彼が全額支払ってくれた。僕たちは、駅前の交差点まで雪の中をしばらく歩き、彼はタクシーを拾うために駅へと向かい、僕は眠れないだろう夜を過ごすために宿に戻った。

 暖房をつけたままにしていたにも関わらず、部屋は相変わらず寒かった。

 酔いが残っているうちに寝てしまおうと、布団にくるまってはみるが、やはりなかなか寝付けない。海に深く潜ろうと努力しながら、海面に浮き上がってしまう新米ダイバーように浅い眠りと覚醒を繰り返す。夜中に喉の渇きを覚えて、ユニットバスの水を汲んで飲み、また床につく。僕がパチンコを打っている、チューリップの開く昔のやつだ、ふと見渡すと誰もいない、急に不安になって慌てて立ち上がり店を出ようとするところで目覚める。

 カーテンを開けると窓の外は本格的な雪になっている。昨夜のテレビのニュースでやっていた天気予報の通りだ。今年一番の寒気の到来、北陸や内陸部は大雪の恐れですと。

 9時にホテルの玄関を出ると、すでに彼が車で待機してくれていた。11時32分発のはくたかで黒部宇奈月温泉から飯山に行く予定だが、時間がたっぷりある。走り出した車の中で、彼には何か考えがあるのだろうと思っていると、生地に向かいますと言う。

「いくじ?」

「ええ、いくじです。あ、いくじなしのいくじではないです。生きるに土地の地でいくじです」

「へえ、変わった地名だね。そこに何かあるの?」

「美味しい蒲鉾があるんです。こっちでは有名なんです」

 20分程で生地蒲鉾という店の駐車場に着く。ナビで見ると店の裏がすぐ日本海だ。

 店に入ると、そこは、店というより工場のような雰囲気で、多くの人たちが忙しく立ち働いている。これ見てくださいと彼が指さす先には、さほど大きくないショーケースがあり、その中に何種類かの生地蒲鉾と思われる商品が無造作に置かれている。

 お土産にどうぞと彼に言われるまま、何種類かの蒲鉾を適当に選ぶと、割烹着のような作業着を着た女性店員が、それをレジ袋に入れてくれる。代金を払おうとすると、いや、ここは僕がお連れしたんですからと言い張って彼が払ってしまう。

 生地蒲鉾を後にした僕たちは、コーヒーでも飲もうとスマホで探した小さな喫茶店に入る。黒部宇奈月温泉駅はすぐそこだ。

「僕は生地蒲鉾が大好きなんです」と彼が言う。

「いや、ありがとう。帰ってからの楽しみができたよ」と僕。

「使ってる魚が普通の蒲鉾と違うみたいで食感がいいんです」

「そうか、やっぱり新鮮なんじゃないの、すぐ海だったし」

「いえ、魚も新鮮かもしれませんが、魚がなんと言ったっけな、違うらしいです」

 彼がコーヒーを飲みながら言う。

「本当に色々ありがとう。定年してヒマになったことだし、また来るよ」

「ぜひ来てください。いつでもいいですから」

「でもこんなに歓待されると逆に来にくいよ。今度は止めてくれよ」

「いえこのくらいしか僕に出来ることはありませんから」

 彼がそれまでの笑顔からふと真面目な表情になって言う。

 喫茶店を出て黒部宇奈月温泉駅に着いたのは、11時を回った頃だった。彼に別れを告げ、車を降りると、きれいな駅舎があり、入口の向こうにエスカレーターが見える。そこを上がったところが新幹線改札のようだ。まだ30分ある。ふと見ると左手に併設された待合所があり入ってみると温かい。コーヒーの自動販売機もあるので、そこで時間を潰すことにする。僕の他には、青いジャンパーに長靴を履いた40歳くらいの男性が一人座っている。市場で働くような恰好だ。コーヒーを買って啜っていると、その男性がスマホをかけ、大きな声で話し出す。

「動いとる、電車動いとるって」

 スマホから相手の女性の、これも負けず劣らすの大きな声がスマホから響く。

「それなら、はよ帰っておいで」

 あっと言う間に電話が終わると、彼が僕の方を見て、人懐こい笑顔を見せる。僕もその笑顔につられて、ニッコリし

「よく降りますね」と言うと

「はあ、そうですねえ、よう降ります」と朴訥に言う彼。

 僕が黙ると、

「どこまでですか」と彼が聞く。

「ああ、飯山です」

「飯山ってどこですか」

「長野県です。ここから一時間くらいです」

「はあ、そうですか」

 彼は感心したように言うと、しばらくして、また人懐こい笑顔を見せて、一礼して待合所を出ていった。ああ、新幹線に乗るわけじゃないんだ、だからあの恰好なんだと僕は納得した。

 

 黒部宇奈月温泉駅を発ち、飯山駅に着いたのは12時11分だった。

 町は一面の雪だ。昨日車窓から見た雪のない濃いネズミ色の風景は大雪の降る前触れだったのだろう。しかも降り続いていて止む気配はなさそうだ。

 とりあえず何かお腹に入れなきゃと、駅を出て雪のなかを歩き出すが、どこにも店らしきところは見当たらない。10分ほど歩いて、ようやく蕎麦屋の看板を見つける。ああ、そういえば長野は蕎麦だったなと思い出し、店に入る。

客は僕一人だ。いかにも蕎麦屋の主といった痩せた風貌の、70がらみの親父が奥の暖簾から顔を出し、いらっしゃいと言う。

僕は、折りたたみ傘をしまい、リュックを降ろし、コートとマフラーと手袋を脱ぎ、雪を軽く手で払って脇に置いて座った。木のぬくもりが漂う感じの良い店だ。20人ほどが入れる店の中央にはストーブがある。

親父がお茶とおしぼりを持ってくる。

「すごい雪だね」と僕が言うと

「今朝からだよ。ラッキーだね」と親父。本気なのか、冗談なのか分からない。

「温かいつけ汁の蕎麦はありますか」と聞くと

「ないね」と一言。

 どうしようかと思い、天つゆがあれば多少は温かいかと、壁に写真入りで大きく張ってある天ざるを注文する。

「はいよっ」と小気味よく返事をして親父が奥に引っ込む。

 しばらくして天ざるが運ばれてくる。すると親父が、

野沢菜。上手いから。取ってよ」と言ってまた奥に引っ込む。

 よく見ると、目の前にある衝立の裏に、数種類の漬物が並んでいて、好きなように食べられるようになっている。僕は、野沢菜と玉ねぎに似たよく分からない漬物を取って席に戻った。たしかに旨い。

 ふいにドアが開き、4人連れが入ってくる。二組の夫婦のようだ。僕よりいくつか上かもしれない。親父がおしぼりとお茶を持って奥から出てきて、いらっしゃいと声をかける。注文を聞いてまた僕の前を通る際、

「久しぶりに忙しいな」と僕をちらと見て、ちょっぴり嬉しそうに言う。

 注文の品を4人連れに持っていき、何やら親父はおしゃべりしている。まだ若いよ、とかなんとか。いや、もう78だよと親父の声が聞こえる。

 しばらくして、親父がまた奥へ行こうとして、僕の前で立ち止まり、

「富山から?」と聞く。

「東京から。今日は富山からだけど」

「いや、その袋がさ」

 生地蒲鉾の入ったレジ袋の印字を見たようだ。

「ああ、これ。生地蒲鉾って美味しいって蒲鉾らしいよ」

「へえ、そうかい。やっぱり富山は魚が旨かっただろ」

「うん、まあ」と僕が中途半端に答えると

「今日はなんで飯山に?」とさらに聞いてくる。

「正受庵に行こうと思って」

「ああ正受庵ね。いいよ、あそこは。一人?」

「うん、一人」

「こっち泊まるの?」

「うん、泊まる」

「どこ?」

 僕は宿の名前を告げる。

「ああ、あそこね、おれの東京の友達もね、こっち来るといつもあそこだよ」

「はあ、そうですか」

 親父はニコッと笑い、奥に消える。

 さすがに蕎麦は旨い。

 また、親父が奥から出てくる。4人連れのところに行くかと思いきや、僕のところに来る。

「蕎麦どう?」

「旨い。東京じゃこういう蕎麦は食えない。なんでだろう」

「そう、この前もね、東京の友達がね、店ごと東京に来たらどうだって言うんだよ。だけど、もうこのトシじゃ、あんな都会は無理だね。トシ食ったら田舎が一番だよ」

 ニコッと笑い、それだけ言ってまた奥に消える。

 しばらくして、今度は、蕎麦湯を持って現れ、僕のテーブルに蕎麦湯を置いて話し出す。

「女房が死んだとき、三カ月くらい何にもしたくなくてね。店も閉めようかと思ったよ」

 僕は一瞬、言葉を失う。

「それは大変でしたね。この店は何年?」

「もう45年になるかな」

「じゃ30過ぎからだ」

「そうだな」

「僕はこの春、定年退職したけど、やっぱり働くっていいよ」

「そうだな。おれも店閉めてたら、お客さんたちがいつやるんだって言ってくれてね」

「張りがあっていいね。羨ましいよ」

「まあ、そうだな」

「あ、そうだ、これ」と僕は、レジ袋から蒲鉾を一つ取り出し、親父に渡す。

「なんだ、いいのかい」

「うん、たくさんあるから。旨い蕎麦のお礼」

「悪いな、じゃこれで今晩一杯やるか」

 嬉しそうにそう言って親父はまた奥に消える。

 蕎麦湯を飲みながら、せっかく彼がお土産に買ってくれた蒲鉾を人にあげて良かったかなとの思いが過るが、たくさんあっても一人じゃ食べ切れないし、彼には正直に話そう、彼なら分かってくれるだろうと思い直した。

僕は勘定をして、また来るよと言うと、親父が待ってるよと言う。その声音はなぜか本気のように思えた。

 店を出ると、雪は止むどころか、しんしんと降り続いている。

 スマホのマップで正受庵の大体の位置は掴んでいる。ここから1キロほどだ。僕は正受庵の方角に向かって歩き出すが、急な大雪で除雪も間に合っていないのだろう。車線と歩道との区別さえつかない。くるぶしをゆうに超える雪に足を取られ歩きづらい。

 10分ほど歩くがそれらしき建物は見えてこない。雪道は思いのほか疲れ、息が上がってくる。

 ふるさと館と看板のある公営らしき建物の入り口で一休みする。傘を下ろし、手袋を脱ぎ、スマホを取り出してマップで場所を確認すると、あともう少しのようだ。

ふたたび歩き出すと、柴犬を散歩させている人とすれ違う。犬はハアハアと一生懸命、雪の中を泳ぐように歩いているが、その表情は嬉しくてたまらないように見える。

それにしてもなかなか着かない。道は合っているはずだ。正受庵は高い場所にあるのだろう、雪のせいでよく分からないが、登り傾斜になっていて、さらに息が上がってくる。

絶対に行かなくてはならない。

雪を想定して、古いブーツを引っ張りだして履いてきたが、左足の方に雪が侵入したようで、溶けた水が靴下を濡らし冷たくなってくる。

なるべく車の轍の後を歩こうと、ずっと下ばかり見て歩いていたが、ふと目を上げると、家々が建ち並ぶ少し上方に雪を被った古い建物が見える。

ああ、これだ、間違いない、もうすぐだ。

 正受庵案内図と書かれた板看板の前にようやく着いた。後で知ったのだが、その看板の右手すぐに参道の石階段があり、そこを上がればすぐ本堂だったのだが、僕は雪のせいでそれを見落としてしまう。

 左手の方から回って行くと、さらにきつい登り傾斜に加え、雪は深く膝上まで達する。一度に数歩歩き、立ち止まって息を整える。

お前は本当に来たいのか。正受さんの声が聞こえる気がする。

絶対に行きます。何としても。

ようやく一番高いところに辿り着き、庭と思しきところを抜けていくと、今度は下の方に明らかに他とは違う古そうな建物が見える。

あれが本堂だ。間違いない。もうすぐだ。

本堂の庭に面した縁側まで来ると、真田家の家紋である六文銭の図柄が入った賽銭箱が、縁側と障子の間に置いてあり、障子がその箱の幅の分だけ開いている。中を覗くと、六畳ほどの和室の奥に、仏像などを祀ったスペースがしつらえてある。

縁側に薄っすら積もった雪を手袋で払って腰掛け、リュックを脇に降ろし、しばらくの間、上がった息を整える。その後、ブーツの紐を解き、脱いだブーツの中に入った雪を掻き出す。

部屋に入って良いものかどうか、ほんの少し逡巡するが、障子が開いているのだからいいのだろうと勝手に解釈し、そっと部屋に上がり込む。

仏像などとともに、正受さんと思われる像もある。あくまで質素な草庵には、派手なものは何一つない。狭い室内には、荘厳な空気だけがピーンと張りつめている。

 

正受さんとは飯山の人が呼ぶ愛称であり、法名を恵端という禅僧である。寛永19年(1642年)に、松代城真田信之庶子として飯山城で生まれた。若い頃から武芸に秀で、飯山藩切っての使い手と言われるが、16歳で出家を志す。その際は、飯山城主松平忠倶の意に添わず叶わなかったが、仏道を諦めことなく19歳で至道庵の無難禅師の下で出家得度を果たす。師の無難禅師が入寂したのを機に、35歳となった恵端は、故郷飯山を仏道の行場と定め帰山する。そこから80歳で入滅するまで、気の遠くなるような長い年月を、ここ正受庵でたった一人修行に立ち向かう。

 恵端の残した、一日暮らしという有名な言葉がある。

「・・如何ほどの苦しみにても一日と思へば堪へ易し・・一日一日と務むれば百年千年も務め安し 何卒一生と思ふから大層なり・・」

 

 この数か月、仏道の書籍を読み漁っているうち、高名な禅僧である白隠の師が恵端であることを僕は知った。白隠臨済宗中興の祖と言われるまでになった背景には、若き日の白隠を厳しく指導した恵端の存在があった。

 恵端の禅に捧げた孤高の生涯を知るに至り、僕はどうしても正受庵に来なければならないと思うようになった。なぜ、恵端は孤独に耐え抜き、厳しい修行に立ち向かえたのか、もしかしたら何らかの答えが得られるかもしれないと思ったからだ。

 

 正座し、合掌する。

 ようやくここに来ることができました。ありがとうございました。

 そう心の中で呟いた刹那だった。僕は油断した。気づいた時には遅かった。僕の心臓のあたりがキュッと掴まれたように感じた。すると、その拍子に僕の中にあった、安全装置のような何かが外れ、それは一気に押し寄せてきた。

 涙が止まらない。僕は畳に突っ伏して泣いた。声を上げて。とんでもなく大きな声で泣いた。押し寄せる波に任せて。

 しばらく後、波が去って心が静まって来ると、どこから来たのか、今度は優しく温かい感情に包まれたように感じる。

 いつまで座っていただろう。時間の感覚が失われ、一瞬にも何時間にも感じる。

心の中の何かが、すうっと吐き出す最後の息のように空間に溶け込んでいく。

それは、これまで抱えていたものを手放した瞬間だった。

そうか。僕は何かを得よう、得ようと思ってここまで来たが、僕に必要なのは手放すことだったのか。

 

目を開けた僕は一礼をして部屋を出る。

縁側で、濡れたブーツを履き、手袋をはめ、立ち上がる。ふと、思い出し、縁側の先を見ると、ブルーのシートで覆われ、厳重に保護されているものがある。それは、正受さんが殿様から貰った石の水鉢だ。僕はそれも見たかったが叶わなかった。

また来いよ。正受さんが言ってくれているような気がした。

もちろんまた来ます。少しでも成長した僕を見てもらうために。

正受庵から、ふたたび雪の中を歩いて町に戻る。

まだ、宿に行くには早いなと思いつつ歩いていると喫茶店がある。時間もあるし、少し暖を取ろうと思って入ると、中は意外に広く、しかも黄色い壁紙のせいもあってか明るい雰囲気の店だった。奥にカウンターがあり、60代だろうか、4人ほどの主婦仲間らしきおばさんたちが座り、大きな声で楽しげにおしゃべりしている。僕は左手の4人掛けのボックス席に座る。客のおばさんたちと同年代と思しき、田舎にしてはモダンな感じのママが、カウンターを出て注文を取りにくる。

アメリカンコーヒーありますか」

「専用の豆はないんだけど、薄めていいなら」

「それでいいです。お願いします」

 しばらくすると、ママがコーヒーを持ってきて、

「これ、一本取って」と言う。

 見ると、プラスチック容器に入った6本の団子だ。3種類ある。

「ちょうど6人だから。一本取って。遠慮しないでいいから」

「はあ、ありがとうございます」と言って、僕は、餡子を避け、醤油餡のみたらし団子を取った。

 奥のカウンターの方から、何でも分けあわなきゃとか、あんたはいつもそうよねとか、旦那ともねとか、きゃっきゃっ言いながら大笑いするおばさんたちの元気な声が聞こえる。

 蕎麦屋の親父が言った、トシ取ったら田舎が一番だよという言葉が思い出され、本当にその通りだなと思う。蕎麦屋も喫茶店も初めてなのに、ずっと前からの行きつけの店のように僕には思えてくる。

 そこで小一時間を過ごし、体と心が温まった僕は、カウンターのところに行き、ママに蒲鉾を一つ渡す。それは猫の絵柄のついた小さな饅頭のような丸い蒲鉾で5つほど入ったものだった。

「え、いいの?悪いわねえ。そんなつもりじゃなかったんだけど」とママが恐縮して言う。

 ご馳走さまでしたと僕はおばさんたちにも礼を言って店を出る。

宿は喫茶店からほんのすぐのところにあり、15時少し回った頃に着く。

その宿は、本当に泊まれるのかというくらい、外目には歴史を感じさせる宿だった。入口と思われる屋号の描かれた木枠にガラスの引き戸は、強く引かないと開かない。強く引いて開けると簡単には閉まらない。中に入ると、コの字型の土間になっていて、50センチほどの段差がある畳敷きのスペースがある。うす暗く、人の気配はない。20畳近くありそうな畳敷きスペースの中央には火鉢があり、土間にはストーブが置いてあるが、どちらも火は入っておらず。気温は外となんら変わらない。

こんにちはと何度か呼びかけてみるが、何の手ごたえもない。無人に思えてくる。宿を間違えたか。ふと、思い立ち、スマホで電話をかける。目の前の柱にかかる固定電話が鳴り出す。やはり誰もいないのかと思ったとき、奥の方から人の気配がする。出てきたのは宿の主人で、僕の夕食のための買い出しに行っていたそうだ。僕は早い到着を詫び、主人は不在を詫びた。

 二階の六畳の和室に案内され、一通りの説明を受けるが、話し好きで人の良さがそのまま顔にあらわれているような主人だ。聞くと、54歳で僕より6つ下だった。

 17時半頃には風呂が沸くのでどうぞ、夕食は19時くらいでいいですかと言われる。客は僕一人らしい。何時でも構いませんと答えたが、主人が去った後で、あまり食欲のない僕は食事を軽めにして欲しいと言うのを忘れたな、後で言うかと思う。

 部屋には、すでに布団が敷いてあり、一人用の炬燵がある。炬燵に足を入れるとすでに温かく、ごろんと横になると、自分の家のように心地良い。

 強烈な眠気が訪れ、頭のどこかでまたどうせ眠れないだろうと思ったときにはすでに深い眠りに落ちていた。目を覚ますと、すでに17時だ。頭の芯の靄が晴れすっきりしている。

 17時半過ぎに主人が来て、お風呂入れますと言う。一人では贅沢なほど広い浴槽にゆったり浸かった後、部屋でぼんやりテレビを見ていると、ちょうど19時に主人がお膳を持って部屋に来た。小さな炬燵の上に置かれたお膳に料理の数々が並ぶ。しまった、少な目にとお願いするのを忘れていた。

「ご主人、実はあまり腹が減ってなくて。少な目でとお願いすれば良かったんですが」

「いえいえ、大丈夫です、大した料理もありません。残してください、残してください」

「はい、ではお言葉に甘えて。申し訳ありませんがたぶん残すと思います」

「あの、それでは、このトンカツだけは召し上がってください。この豚肉はここの特産なんです、ぜひ」

「トンカツは好きです。分かりました」

「では、私は雪掻きで一時間ばかり外に行きますけど、ゆっくりどうぞ。何かあったら声かけてください」と窓を指さして主人が言い、部屋を出ていく。

 ところが、主人の作った食事は想像以上に美味しく、思いのほか食欲が沸き、ほとんど残さず平らげてしまった。お膳はそのままでと言われていたが、僕は、食べ切れないと言ってしまったことがなぜか気恥ずかしく感じ、ほぼ空になったお膳を部屋の外に出しておいた。

 翌朝、久しぶりの心地よい熟眠感とともに目が覚めたのは8時少し前だった。顔を洗い、着替えをして階段を下りる。誰もいない。来た時のままだ。暖簾の奥に向けてお世話になりましたと大きな声をかけると、その声に気づいた主人が奥から出てきて、レジ袋に入った小ぶりのリンゴを5つ僕に渡し、

「飯山のリンゴです。お土産に持ってってください」と言う。

「何から何まで。本当にお世話になりました。来年また伺います」

 あ、と思い出し、蒲鉾の入ったレジ袋の中を見ると、蒲鉾が残り2つとなっている。僕は、一つあれば十分だなと、もう一つを取り出して主人に渡し、リンゴのレジ袋の中に一つ残った蒲鉾をレジ袋ごと丸めて入れる。

 宿を出ると、雪は降り続いているが、駅への道は除雪が進んで、いくぶん歩きやすくなっている。道の前に住む人たちが、昨晩のうちに雪掻きをしたに違いない。

 飯山駅に着き、エスカレーターで新幹線改札のある2Fに上がり、窓から飯山の町を振り返る。

 山に囲まれた小さな町。何もない町だが、大切なすべてがある町。

 新幹線に乗り込むと座席に人の姿はほとんど見られない。

 飯山を出てすぐ、お世話になった友人にお礼のメールを打つ。

「久しぶりに会えて嬉しかったよ。ご馳走になってしまい、かえって申し訳なかったです。これから東京に戻ります。ありがとうございますした」

 送信した後、ふと思い出し、再度メールを打つ。

「もしかしたら知ってたかい?」

 なかなか返信がない。仕事で忙しいのだろうと思い、車内販売でコーヒーを買い、外を見ながら飲む。ふとスマホの画面を見ると、10時を少し回ったところだ。12時前には東京に着く。

急ぐ必要はない。僕の帰りを待つ者は誰もいない。

ちょうどコーヒーを飲み終わったとき、友人から返信がある。

「こちらこそ、お会いできて良かったです。楽しいひとときでした。またぜひ遊びに来てください。お待ちしています」

「追伸 実は知っていました。先月、○○さんから聞きました」

 そうか、あのとき言葉を飲み込んだのはやはりそうだったか。

 しばらくして、またメールが来る。

「心よりお悔やみ申し上げます。直接お伝えできず申し訳ありません」

 メールをしばらく見つめていた僕は顔を上げ外を見る。

 厚い雪雲の切れ間から一筋の光が山の斜面を射していて灰色とのコントラストが美しい。

 まもなく軽井沢とアナウンスが聞こえる。

 

                                      了